05/21

親族一丸で「GOジーザス」な母方の家系に、『逆隠れキリシタン』というマイナー団体がある。
若い世代、僕のイトコやらがそれにあたるんだけど、幼少期から聖書と賛美歌とお祈りでうざったくなってしまい、冠婚葬祭だけ仕方ないのでそれっぽく振舞う人間の集まり。子供礼拝で、賛美歌を替え歌で歌っていた人間がメイン。 
我が家は母親だけがホンモノで、牧師やらが訪れてきたときだけ仕方ないので付き合ってやっていた。 しかし僕がマレーシアでのほほんと暮らしているうちに、『逆隠れキリシタン』で最も優秀だった妹がいつの間にか寝返っていたのである。 
真顔で歩道橋に『夜露死苦』と書ける人間が寝返るとは夢にも思わなかった。そういう奴こそハマるとウザったい。  
常用漢字もあやふやな人間が入信すると、まず抜けてこない。 パナウェーブの信者がおおむね電磁波を正しく理解していないのに等しく、聖書の内容をちっとも理解せず、自己判断以外のファクターが強いと、『神とその子、イエスは絶対である』とだけ焼きついてしまう。 いきなり極論までワープしているのだ。 この『絶対』とは、「絶対に太陽は落ちてこない」と同じレベルに達し、聖書以外の何かで結びつけてしまう。 彼女の場合、教会に集まる陽気な黒人とゴスペルがファクターだと思う。 
問題の聖書の理解度に至っては、ある意味凄かった。 本当に分かっていない。 幾つか問題を出したがことごとく「分からない」を連発し、圧巻だったのは、
「わたしは○○の木である。 これ、イエスキリストの名言ね。 はい、彼は何の木でしょうか?」
念のために言っておくと、答はぶどう。 水の無いところで生え、実をたわわに付け、それを食べなさいとか、そんな比喩だったと思う。 
「桜の木を切って素直に謝る話だっけ、それ?」
 
今こうして介護福祉士になれたのもイエス様の教えが〜〜っておっしゃられてましたが、おまえなら誰の教えでもなれます。