04/09 小噺

 『神よ…』
セミの抜け殻のようだ。 自分の体がこれほどにも乾き、それでも生き伸びていることが信じられない。 体じゅうの細胞から水分が蒸発してしまったのではないだろうか? ひび割れた大地に立ち尽くす何万もの同士が、重そうに頭をもたげ、茶褐色に焼けた体を揺らしていた。 いよいよ全滅の2文字が現実味を増してきた。
風の吹くままに揺れる自分の影に、溢れるような水を重ね合わせ空想した。 頭から爪先まで水に浸かり、体内に水を流し込む。 考え事でもしていないと意識が飛んでいきそうなのだ。 生きるために水を待ち、雨が降るまで生きぬく。 神が我々に与えた試練。 立ち尽くす私たち。 すでに死んだ仲間も少なくはない。  
最後に雨が降ってから10日が過ぎた。 水が欲しい。 足まで水を浸かり、おたまじゃくしと戯れた幼少のころを思い出しているうちに一日が過ぎた。
さらに一日が過ぎた。 遠くに雲が見えたが、雨を降らすような代物ではなかった。
日が沈むと虫の音に耳を傾けた。 久しぶりに聞いたような気がする。 同じことを思ったのか、 
「暑さが…、暑さがやわらぐよな」
隣の奴が話しかけてきた。
「あー」
滅多に会話を交わさないのは疲弊しきっているためだ。 たまにする会話も、やはり一言二言で終わる。 しかし、今夜は珍しく話しつづけた。
「なあ、聞いたことあるか?」
「ん?何を?」
「神様のご褒美」
「しらん」
「光輝く女」
「女?」
「あー、神は光輝く女を与えてくれるんだ」
熱で頭がおかしくなったのだろうか? 私は言葉を返す余力も残っていないので、半ば聞き流していた。 ぶつぶつと呟くように、いや、懇願するように奴は続けていた。
「我々の祖先はその女を『最高の嫁』と敬ったんだ。最高の嫁だよ。我々に生きる力を与えてくれるんだ…」
 
ここまで聞いたのは憶えているが、その続きは寝てしまったのか、聞こえなかったのか。 どちらにせよ地獄の太陽は忘れることなく、また昇ってきたのである。
今日は風が強く吹いていたので過ごしやすかった。 奴はじっと雲を眺めていた。 微かに「嫁が来る」と呟いているのが聞こえたが、相手にはしなかった。 そして一日が終わった。 
夜になるとさらに風が強く吹いた。 吹くというより吹き荒れるといった感じだ。 今まで経験したことのない強風に、体を飛ばされないように踏ん張っていた。 
「来るぞ! 来るぞ!! 我々の嫁が来るぞ!!」 
奴は、狂喜の中叫び狂っていた。 
「さあ、今こそ我々は報われるのだ! 神よ!光の女を与えてくれたもう!」
グァラガラグァラーー!!!  
闇夜を貫く轟音が鳴り響いた!! なんだというのだ? 奴に尋ねようと振り向こうとした瞬間、今度は一閃の光が空気を引き裂き辺り一面を照らした。
「女だ! 神からの贈り物が届いたぞ!! 幾万の同士よ!! 授かるんだ!! 我々の嫁になる女を神が届けてくださったんだ!!」
隣で叫ぶ声。 怒号とともに走る閃光。 私は何がなんだか分からなくなり、彼と一緒に叫び出していた。 その声は次第に数万の同士たちに伝播しはじめ、最高潮に達したところでついに、ついに雨が降ってきた。 
14日ぶりの雨は光輝く女、神から授かった『最高の嫁』がもたらした大雨であった。 夢にまで見た、体の隅々にまで浸透するほど溢れる水が我々の体を生き返らせた。 大量の水と、轟音と、眩しい光を受け、狂ったように体を揺らし続けた。 
私は、いつまでもこの日を忘れないだろう。 稲に生まれてよかったと神に感謝した。  
 
神よ、稲妻の語源はこんなもんでしょうか。