02/03 手下の佐藤君、マレーシア到着前夜

弟子である佐藤君に電話をした。 部屋に流れる音楽が彼にも聞こえていたようで、
「なんすか、なんで、マレーでサザンなんですか?」
「一人桑田モノマネ大会。 かれこれ30曲目。 なにか、文句ある?」
「いや、とくに。 たのしそっすね。 一人なのに。」
「いやー、似てないモノマネほど辛いものないよね。」
僕は、大人だから謙遜して言ったが、ここ最近磨きがかかってきていると、自分では思っている。 が、 
「確かに、似せようとして似てないとキビシイっすね。」
彼は、僕の桑田を4日前に聞いているにも関わらず、この発言をした。 もう少し彼は大人になるべきだと思ったし、だいたいあのときの桑田は、選曲も良かったこともあり、85点くらいだった。 18のとき、夜中の国道沿いで歌ったOHクラウディアよりも、今27歳、ホテルの部屋で熱唱しているクラウディアのほうが4倍は桑田らしく歌えているし、輝いている。 この揺るがざる事実にも関わらず、佐藤的にはキツイの一言だったことに、怒りを通り越してやるせなくなってきた。 そして部屋を飛び出した。 
街を滑るように歩いた。 僕に集まる視線。 視線というより、呆れた冷たい目というほうが正しいかもしれない。 僕のカカトにローラーがついてるからだと思うが、銀行にたどり着くまでに3回コケた。 それでもムラサキスポーツで、「これ(ローラー靴)の、28センチありますか?」 と尋ねたことに後悔はしていない。
ここのところ、良い意味で開き直った人生を送っていると思う。 夜中の3時にこの国に到着し、寝ずに翌朝出社したが、もうそのときにはローラー靴を履いていた。 テーブルに突っ込んで、ジュース2杯が床に飛び散った。 
先ほど、ヒロ君に電話で聞いたところ、やはり日本の子供のほうが僕よりも数段レベルが高いことを再確認し、これから3ヶ月間、毎日この靴で出社することにした。 
佐藤君は、この日記をアップするころには、マレーシア最初の朝を迎えていることだろう。
ぶざまな姿は見せられない。 そう思うと、さっき(土曜午前2時)まで練習に打ち込んでしまったのは、当然のことである。 
久しぶりにできた肘のカサブタを見て、ワンパクの一言で片付けていいものか。そんな疑問は湧いてこなかったことにして、滑りつづけた。 
月明かりが、僕とローラー靴をまぶしく照らすのでした。